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旅に終わりがあると誰が決めた?

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※はじめに※ 

本記事は過去のツーリングを回想して書いたものです。
新型コロナウイルスの影響により世界中がひっくり返りそうな時期です。
お出かけは落ち着いたあと。ステイホームで読んでね★

「大間岬まで行っでそのまま引き返すんだが?」

 

ここは青森県八戸市にあるコインランドリー。
その女性は信じられない、とでも言いたげな表情で続けた。

 

「そごまで行ぐだば、北海道さ渡りなさい。じゃなきゃ絶対後悔する。」

 

彼女はこのコインランドリーの従業員。
60代ぐらいだろうか、この年齢の現地人にしては方言が薄い。

24歳の私は、大勢の客でごった返すここでなぜか初めて会う人、それもライダーですらないこの女性から旅の行き先について意見を受けていた。

少し話を戻そう。

 

 

いわゆるブラック企業に勤めていた私は、心身ともにすり減っていた。
ほとんどうつ病に近い状態になってようやく仕事を辞めると決意した年のゴールデンウィーク、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで申請した代休を使って10連休を手に入れた。

これまでの週末は仕事へ行っていたか体力を回復させるための睡眠にあてていたかだったため、なにかにたっぷり時間を使えるのは久々のことだった。
初めて手に入れた超長期連休で何をしようか考えた結果、本州最北端である大間岬を目指し、テントひとつ持って愛車に飛び乗ったのだ。

 

慣れないロングツーリングはここまで散々だった。

初日は吹雪の中道を間違えた上にテントを突風で失いかけ、べそをかきながら温泉街のバスの待合室で朝を迎えたし、

昨日は岩手県を縦断したら一日中雨で、都内の4月末の気温を前提に用意してきた服装のせいで凍えながらもひたすらに国道4号線を北上することしかできなかった。

予定していた温泉が臨時休業していた時も泣くことしかできなかった。無力だった。

 

これまで何年も毎日朝から日付が変わるまで働いてきて十分つらい思いはしてきたはずなのに、なんで休みの日までこんなに苦しい思いをしなければいけないんだろう?

それでも北へ、奥歯をかみしめながら走っているうちに雨がやみ、さっきまで雲に隠れていた姫神山が現れた。

振り続けた雨で空気中の塵がすべて取り除かれ、尾根の雪は1本1本すべてを指でなぞれるぐらい鮮明に見えた。

雲からこぼれるわずかな光を鋭く反射する姫神山は、力強かった。
それに比べて自分はなんてちっぽけなんだろう。

 

それでも。と涙を拭いた。
ちっぽけだけど、ほんの少しずつ進んでここまで走ってきた。これからだってそう。
道が続いている限りはまだ走らなければいけない。

 

その日の晩は駐車場の隅で小さくなって休んだ。
アスファルトから上がってくる冷気は芯から身体を冷やして眠れたもんじゃなかったけど、疲れていたからかウトウトしているうちに朝が来た。

 

そんな調子でやっとの思いでたどり着いた八戸市だったので、すでに私はボロ雑巾のようにクタクタになっていた。
雨と泥とで汚れた服のストックは既に尽きていたため、このコインランドリーに立ち寄ったというわけだ。

コインランドリーは連休中の客でいっぱいだったにもかかわらず、一人で訪れた小汚い女性客を不思議に思ったのか、彼女は親切に話しかけてくれた。

 

「お客さん、観光?八色センター(八戸の観光市場)さ行ってる間、乾燥まで進めておぐよ?」

それならお願いします、と服を取り出すと

「どごがら?どごまで?バイク?一人?」

と、質問攻めにあった。

 

素直に「都内から大間岬まで、バイクで、一人です。」と答える。

そこで冒頭のシーンに戻る。

「大間岬まで行っでそのまま引き返すんだが?」
「そごまで行ぐだば、北海道さ渡りなさい。じゃなきゃ絶対後悔する。」

急になんだ。こっちはお金も時間もない中ギリギリで予定を立てているんだ。そう簡単に言ってくれるな。

反射的に身構えると同時に「なるほど」と思った。

 

最初に決めた目的地だけにこだわることはないんじゃないか?

「北海道まではすぐに行けるんですか?」

「すぐだよ、だって大間がら函館、見えるよ。船で2時間もががらね。」

そう。この時初めて気が付いたが、大間岬から函館までは目と鼻の先。
当たり前だけど本州最北端はあくまで本州の最北端であって、さらに北に進んだ先には北海道のでっかい大地があるのだ。

 

「わざわざ東京から何日も走っできだんだ?いいどごろだから、楽すんでおいで。私は函館からこごまで嫁いでぎだんだよ。」

 

いつの間にか女性の故郷へ行くことが決まってしまった。

まあいいか。どうせホテルなんかとっていない。渡った先にテントを張れる場所があるかどうかだけだ。

「わかりました。行ってみることにします。」

答えて、汚い服を預けた。旅を、目的を決めつけて走っていた自分が少し恥ずかしくなった。

八色センターから帰ってくると、女性はシフトが終わったのかもういなくなっていた。
一声かけて出発しようと思っていたので拍子抜けしたけど、仕方ない。

フワフワに乾いた洗濯物を受け取り、「いってきます」と、小さな声で呟いた。

The市場!八色センター

〒039-1161 青森県八戸市河原木字神才22-2

 

海沿いへ進むとすぐにたくさんの鳥が飛んでいるのが見え、「ミャア、ミャア」という独特の鳴き声が聞こえてきた。

日本有数のウミネコの繁殖地である蕪島神社だ。

小さな丘は春らしく菜花に覆われていて、産卵の季節を迎えた3万羽近くのウミネコが至る所で歩き、巣を作り、座り込み、思い思いに鳴いていた。
常に頭上をウミネコが飛び交っていて、運が悪ければフンを浴びることになる。(いや、ウンはいいのか?)

入口の鳥居付近で傘の貸し出しがあったので、ありがたくお借りした。
今時珍しく花柄で柄が太い傘で、なんとなく元の持ち主である、たぶん女性の姿が思い浮かぶようだった。

傘のおかげでウンを浴びることなく登頂したのに、本殿は去年、火事で燃えてしまったらしい。
立ち入り禁止のテープで囲われたなにもない土台があって、そこにもウミネコが「ミャオ」と座っていた。

 

残念に、そして気の毒に思ったけど、こうしてウミネコが無事に産卵の季節を迎えられたことは喜ぶべきだと感じた。
案外無機質なウミネコの表情に母性は感じられなかったけど、巣の中で大切そうに卵を抱える母鳥がこちらを警戒しているようだったので、早めに退散をすることにした。

蕪島神社

〒031-0841 青森県八戸市大字鮫町鮫56−2

※2020年3月より本殿が再建され、一般公開が始まりましたが、参拝は新型コロナウイルスの流行が落ち着いた後をおすすめします。

 

 

今晩のゴールはむつ市。日本で初めてのひらがなが正式な書き方の市であり、本州で一番北に位置する市である。(大間岬は下北郡大間町)

国道338号線を北へ走った。

青森県のあの、右側の細長い土地だ。見た目通りに細長く、そして狭い道だった。

 

ここですれ違うライダーたちは皆テンションがとにかく高い。
むつへのメインルートはもう1本西を走る国道279号線で、338号線は遠回りになるルートだからだろうか。
元々バイク乗りには「ヤエー」といって、すれ違う時にお互いの安全を祈ってピースをしたり手を振ったりする文化があるのだけど、日本の端を目指すもの同士の絆というか、長い道を走り続けようやく辿り着いたアドレナリンというか、お互いとにかくもう手をブンブンと大きく振りながらすれ違った。

そして道のいたるところに「クマ出没注意」と看板があり、いよいよ北の大地に片足を突っ込んだ印象を受ける。すでに気持ちはクライマックスだ。

 

3時間ほどをかけてむつ市の中心街へたどり着いた。

遠出が決まったので今晩は急遽ホテルを取った。

ホテルの駐車場に愛車を停めて玄関へ向かうと、組ねぷたというやつだろうか?凛々しい顔つきの若い武将が馬に乗った躍動感のある大きな人形が飾られていた。
ねぷたというと髭面の鬼みたいな顔をしたおじさんの人形のイメージがあったので、意外だなとまじまじ見た。
白い馬にまたがる青年は細部まで丁寧に作りこまれていて、これが祭りの中で動くさまを見てみたくなる。

案内された海沿いの部屋からは陸奥湾が一望できた。
水平線がほとんど見えないことに興奮をする。ここから見える陸地が下北半島で、隠れて見えないけど、この先に本州最北端、大間岬があるのだ。

むつは青森県の中でも一番広い市なのに静かで寂しい街で、明日の朝が早いということもあり、ホテルのすぐ近くにある食堂でラーメンを食べてすぐにベッドにもぐりこんだ。

久しぶりに入る布団は暖かく、昨晩までのテントと夏用寝袋とは比較にならなかった。
けど、どちらも好きかもしれない。そんなことを考えていたらあっという間に眠りについた。

翌朝、スッキリと疲れがとれて元気を取り戻し、再出発した。
屋根と壁とベッドは偉大だ。

素泊まりでのホテルでは朝食を食べなかったけど、もともと今日の食費は昼ご飯にほとんどをつぎ込むことに決めていたのでまったく苦ではない。

国道279号線をまっすぐ走っているうち1時間ほどで海に突き当たり、小さい商店や干物やなどがいくつか見えてきて、そして大間岬に着いた。

マグロとこぶしのモニュメントの先、本州の最北端であるという海沿いのスペースへ進んだ。海にはほとんど波がなく、黒い。津軽海峡はもっと荒れているものだと思っていた。
目の前には白く霧がかかり、海の先は20mぐらい先からすべて真っ白になっていた。

 

「あの人、宗谷岬からは函館が見えるって言ってたのに」

 

正直に言うと、あっけなさと悲しさを感じた。
この4日間、雪が降っても風が強くても夜寝れなくても、走り続けて目指したものが目の前にある。
もちろん達成感はある。ものすごくある。

だけどどうしてだろう、手に入れてしまったことが悲しかった。

「やっぱり北海道へ行かなきゃいけないんだ」

 

大間岬

〒039-4601 青森県下北郡大間町大字大間大間平17−1

 

ひとつ、楽しみにしていたものがあった。
それは大間岬で食べるマグロ丼だ。

大間港で水揚げされるマグロは2000年放送のNHK連続テレビ小説「私の青空」の放送をきっかけに全国へ知れ渡った。
町民の約半数を占める漁師によって津軽海峡で水揚げされる大間マグロは、日中は1本釣り、夜間は延縄漁という方法で獲られていて、魚が弱ってしまう前に血抜きをするため鮮度が高いのだという。

実は大間マグロの漁は8~1月の間に行われるため私が訪れた5月は近海のマグロが提供されているのだが、どちらにせよ日ごろスーパーで並べられているマグロとは比べ物にならないはずなので気にしないことにした。

民宿も営んでいるという食堂に入り、お品書きを見た。

マグロづけ丼  1300円
さけ・いくら丼 1300
円マグロだけ丼  2800円
※当時の価格です

 

マグロ、高いな…。

普段の生活では3食をコンビニに頼り、カップ麺や弁当や菓子パンなんかを買って会社のデスクで食べるのが習慣だった。(あのまま続けてたらマジで今頃死んでいたと思う。危なかった。)
当然1食の金額は1000円以下、大体500円前後でおさまっていたので、2800円のどんぶりは2日分の食費にあたる。

 

あれ?そう思うと案外たいしたことないな。

ここまで来たのだ。思い切って

「マグロだけ丼ください!!!」

贅の限りを尽くしたような丼がやってきた。

脂が、もう脂がほんとすごい。姫神山の尾根ぐらいバキバキに白い脂が通っている。
これは本当に魚なのだろうか?牛じゃなくて??

恐る恐る口に含むと体温で甘くとろけた。ひと噛みすると、その分厚さにも驚いた。

これまでの人生でこんなにもおいしいマグロを食べたことがあっただろうか??
いや、ない。断言する。

 

気が緩んだらウっと泣きそうになったけど我慢した。
仕事をやめたらまたイチから頑張って、再びこのマグロ丼を食べに来られるような生活を築くんだ。

海峡荘

〒039-4601 青森県下北郡大間町大字大間大間平17−734

 

大間と函館を結ぶ津軽海峡フェリーは大間岬から10分ほど走ったところにある。
かつては大間-室蘭間も運航していたが、今はもう大間ー函館間の運行にのみ使われている、白い外観が印象的な小さなフェリーターミナルだ。

1日に2便が出ている津軽海峡フェリーは別名ノスタルジック航路と呼ばれている。

1964年に開通して以来買い物・通院など住民の大切な生活航路として(!)、近年は観光やトラックによる荷物の運搬の足としても利用されている。

歴史のあるふたつの町を繋ぐただひとつの航路が代替わりしながらも50年以上続いているというのだから感慨深い。

津軽海峡フェリー 大間フェリーターミナル

〒039-4601 青森県下北郡大間町大字大間字根田内10番地

https://www.tsugarukaikyo.co.jp/

 

 

津軽海峡冬景色という歌がある。

NHK紅白歌合戦でも何度も歌われた石川さゆりさんの代表曲で、演歌に明るくない私ですら口ずさむことができるほどの名曲である。

これは青森県と函館を繋ぐもうひとつの航路、青函連絡船を歌った曲ではあるが、歌詞の中で東京を発ち、遠く離れた青森県より船に乗って北海道へ渡る人々に気持ちを重ねずにはいられなかった。春であるにも関わらず。

風の音が胸をゆする 泣けとばかりに

ああ 津軽海峡冬景色

津軽海峡冬景色   作詞:阿久悠

 

甲板で海を眺めた。飛沫か霧か、頬が僅かに濡れた。
船の上から見る海はどこまでも広く、冷たい黒色をしていた。

 

既に大間は見えなくなった。海の真ん中に独り取り残されるような感覚を覚えた。
そう感じる間にも船は進んでいる。
2時間もしないうちに私は函館の地を踏むだろう。

 

大間岬は私の旅の終点であった。

だけど、新しい旅の始点でもあった。

 

よくよく考えてみれば、端なんて人間が決めたちっぽけな土地の呼び名のひとつであって、そこから先にも変わらず土地があるのだ。

 

大間の先には函館があって、函館の先には帯広や旭川や紋別がある。

北海道の本島最北端である宗谷岬のもっと先にはロシアがあって、

もっともっともっと先に進めばブラジルだってオーストラリアだってある。

ここで終わりだと決めていたのは自分自身だったのだ。

それに気が付かせてくれたのは、八戸のコインランドリーの名前も知らない女性従業員だった。

 

 

 

 

 

 

 

きっと彼女には届かないけど、今、伝えたい。

 

あなたのおかげで、私の旅はあの日からずっと続いています。
ありがとう。

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