すべての文明が滅びた後、誰一人いない静まり返った世界をバイクで旅したい。
林道や廃墟やアウトドアが好きな旅ライダーであれば誰もが思うことではないでしょうか。
私?めちゃくちゃ思ってますよ。
終末旅行したい!!
思っているのですが、「無理だな」って思い知ってしまった経験があります。
今回はその話をさせてください。
地震前日 ―網走にて
それは北海道で起きた。
2018年、8月に入籍した我々夫婦は、9月に新婚旅行を決行した。
北海道はいいぞ。みんな知ってるか。笑
9月5日
この日は私の強いリクエストによりシマリス公園へ行った。
シマリス公園は最高。
人懐っこいリスたちが身体の上を走り回ってくれる。
軽くてすばしっこいため、気が付いたら肩や手の上に乗っている。びっくりする。天国。
そのあとは洞爺湖を見に行って、ジンギスカンを食べに行って。
距離を走らなかったので、 エストレヤのガソリン残量は半分ほど。
「あと150kmは走れるし、明日入れればいっか!」
ご機嫌でホテルに帰り、売店を覗くとおいしそうなメロンが。
実家へ送ろうと店員さんに話しかけると、今日の分は全部売れてしまったんだとか。
店じまいの途中ということだったので明日購入する約束をして、部屋に戻って就寝したのであった。
地震当日 ―網走から十勝へ
9月6日
朝、異変に気が付いたのは夫だった。
「はるかちゃん、電気がつかない。」
え~、そんなことないでしょ。ボタン間違えてるんじゃない?
「地震が起きたらしいんよ。大規模な停電が起きてるっぽい」
うそ。
廊下に出てみたら真っ暗だった。
ロビーは混乱する人々でごった返していた。
震源地は胆振東部地方。といっても、土地勘のない私にはよくわからない。
とにかく発電所がストップしてしまい、北海道全域が停電しているらしいというウソみたいな出来事が起きているということがわかった。
ウソでしょ。え?ほんとなの?
情報がないから実感がわかない。ただ空調が止まって蒸し暑くなった空気だけが、事実を教えてくれた。
メロン屋さんは私たちのことを覚えていてくれた。
「今日は無理ですけど、落ち着いたらお送りしますので」
受付をして、お金を払い、送り状を書いた。
ホテルの人によると付近のガソリンスタンドはほとんどが営業できなくなってしまい、唯一営業しているガソリンスタンドは長蛇の列。電気の復旧の目途はたっていないらしいということだった。
「とりあえず様子を見ようか。もしかしたらそのうち復旧するかもしれないし」
一旦部屋に戻った。
昼近くになっても事態が好転する様子はなかった。
ホテルとしては営業を停止することにしたらしく、連泊はできそうにない。
ここで待つのは諦め、網走を脱出することにした。
帰りの船の予約まであと2日。小樽港まで行けばなんとかなるはず。
聞いていた通りガソリンスタンドは長蛇の列だった。
網走を出た後で給油することも考えたけど、どこのガソリンスタンドが営業しているかもわからない中では目の前のガソリンスタンドへ寄るしかなかった。
北海道はでっかいどう。次のガソリンスタンドまで何kmあるかもわからない。
悔やんでも仕方ないけど、前日に入れておけばよかった…!
いざ走り出すと、すべての信号が消えているため、交差点では譲り合いながらゆっくりと車が進んでいる。
意外と混乱しないんだな…。こういうのは比較的秩序を保って動く日本人ならではなのかもしれない。
ひとたび街を抜ければ、交通量はぐっと減る。だだっ広い畑や田んぼ、荒野みたいな土地が広がっているだけ。
「まるで終末世界だね」
実家からは鬼のようにLINEと電話が来ていた。
北海道の広さが規格外すぎるせいで、ただ電気が止まっているだけで他に被害はないということが伝わりにくいみたいだ。
震源地から現在地までは東京と大阪ぐらいに離れていることを説明し、ようやく安心してくれたようだった。
道中寄ったコンビニではほとんどの食べ物が買い尽くされたあとだった。
なにもない棚を見ると、気が焦ってくる。なにか手に入れなければ、という気持ちになってくる。みんながみんなそういう気持ちで端から端まで買い漁ってしまうんだ。
ゾンビ映画なんか見ると営業していない小売店から食べ物を入手する描写がよくあるけど、たぶん、実際にあれをしても缶詰が少し手に入るぐらいだと思う。カップ麺は真っ先に売り切れてた。
奇跡的にガスでお米を炊く店舗に当たり、おにぎりをゲットした。
プリンターが動かないから、シールは白紙のままだった。
暖かい。ホテルを出てたったの数時間の出来事なのに、それだけでものすごくホッとした。
ちなみにセイコーマートは見かけたほぼすべての店舗が営業していて、電源は発電機や車のバッテリーを使っていた。さすがに「ポイントカードはお持ちですか?」って聞かれた時はさすがに「んなこと言ってる場合かいな!笑」って突っ込みそうになった。
セイコーマート、実に強いコンビニである。すごく助けてもらった。
話はそれるけど、胆振東部地震では発電機を使用した際の一酸化炭素中毒で亡くなられた方もいるそうだ。
なかなかないと思うけど、自宅で発電機を使う方は十分な換気をしてほしい。絶対に。
さて、夫が元々立ててくれていた予定ではちょこちょこ寄り道をしながら走る予定だったのだけど、ガソリンが無駄にできないのと昼まで網走にいたのとで、かなり予定が狂ってしまっていた。
それでもせめてということで、ナイタイ高原へとやってきた。
もちろん売店は営業していない。
ソフトクリーム、食べたかったなあ。
実を言うと、少し体調を崩しつつあった。なんだか頭がボーっとする。
過去にブラック企業に勤めてバランスを崩した心と身体、だいぶん取り戻してきていたんだけど、この時期はまだ不安定だった。
ただ、風が流れる音だけが聴こえるこの場所では、下界の騒ぎが全部嘘みたいだった。
だってこんなに空が青い。
本来の目的であった新婚旅行の空気が戻った。
「行こっか」
どちらからともなくそう言って、来た道を下った。高度が下がるにつれて現実へ引き戻されていくような気がした。
街に戻った私たちが目指したのは、予約していた旅館。
なんと停電中にも関わらず、予約者のみを対象に営業されているとのこと。
無事に帰った今だから言えるのだけど、被害状況がわからないときはあまり動かない方がいい。道路がぶっ壊れているかもしれないし、走行中に事故を起こしたり、余震が起きたりするかもしれない。危険だ。
と言っても全道停電の中ほとんどの宿泊施設が飛び込み客の受け入れを休止していたので、動かなかった場合は野宿一択。
もちろんキャンプ道具も持ち歩いていたのでそれはそれで面白かったのかもしれないけど、予約していた旅館はかなり整った環境だったため、結果、今回は移動して正解だった。
相変わらず信号は真っ暗だったけど、道中の畑ではジャガイモを収穫していた。
農家の方は停電だからといって休むわけにはいかないらしい。本当に大変なお仕事だ。北海道のジャガイモを見ると、数年経った今でも思い出す風景のひとつだ。
旅館について驚いたのは、駐車場で轟音をあげながら動いている大型の発電機。
ロビーに入ると電気がついていて感動した。
しかも備蓄食で食事を用意していただき、シャワーまで浴びさせてもらえるという贅沢な環境。
お腹いっぱい食事をいただき、お風呂に入ったあとはすっかり体の力が抜けてしまった。
「ふあ~、つかれた!」
早めに布団に入るも、不安で頭がいっぱいになって眠れない。
昨日よりも震源に近くなったことでこれから本震が来るんじゃないか、船はちゃんと動くのか、道路はまともに走れるのか。様々な不安がぐるぐるとダンスする。
寝られるときに寝なきゃいけないんだけど、胸がぎゅっと押しつぶされそうだった。
あぁ、もしも現実世界にゾンビパンデミックが起きたら、きっと私は1週間と持たない。
苦境すらも楽しめる人間だけが生き残れるんだ。
結局、カーテンの隙間から光が差すまでまともに寝ることができなかった。
地震翌日 ―電気ってすごい
9月7日
停電は朝になっても続いていた。1日経てば解決しているんじゃないかと期待してしまっている自分がいた。
しかし、朝食は豪華。ここにきてお刺身を食べられるとは思っていなかった。
停電が長引きそうで、ホテル側が諦めて冷凍食品を開放したらしい。すごく幸せな気持ちで甘えびを頬張る。なんて贅沢。ありがとう、ありがとう。
この日はすべての予定をパスし、まっすぐ小樽港を目指して走った。
走るうちに心の余裕を取り戻してきた。
というのも驚くべきことに、徐々に走るにつれて部分的に電気が復旧している場所も見かけるようになってきたのだ。
昼食を手に入れようと富良野あたりに立ち寄ると、なんとラーメン屋さんが開いている!!これまで営業中の飲食店は見かけなかったのに!!
「すげぇ!!すげぇ!!」
大興奮で店に入ると、冷房とテレビがついていて更に興奮。浦島太郎にでもなったみたいだ。
ニュースでは繰り返し震源地の土砂崩れの様子を流していて、こりゃ親から鬼電がかかってくるわ…と納得した。
普通の生活がこんなにありがたいなんて!って噛み締めながらラーメンを食べた。まだ1日しか経っていないのに!
たったの1日でも、全然気持ちが変わる。つくづく小心者だなあ。
復旧している地域とまだな地域があり、信号はいつも以上にしっかり見て走った。油断をすると赤信号につっこんでしまうため、反射神経のテストのように見極めながら進む。
必然的にスピードは出せない。
北海道の1本道と言えば高速道路のような超スピードが名物?だけど、地震から1日しか経っていない今は、とてもじゃないけど急ぐ気にはなれなかった。
部分的な復旧のおかげで、小売店も徐々に営業再開しているようだった。
お団子なんか食べちゃったりして、旅行らしさを味わうことができた。有難かったなあ。
かなりの余裕を持って小樽に着くと、港はたくさんのバイクと車と観光バスでごった返していた。平日なので本来は混まないはず。(地震が起きるまでは席に余裕はあった)
おそらく大部分が旅行の予定を繰り上げてきた人と、飛行機が止まってしまったため船に切り替えた人たち。旅行会社の方仕事ができる方だったのかな、大型の観光バスも停まっていた。
まさに巨大過ぎる孤島となってしまった北海道から唯一出られる手段が、フェリーだったのだ。
だんだん暗くなる街の中、ここまで来ればもう安心と、観光がてら夕ご飯を求めて街を散策することに。
気を付けなければいけないのは、道路を横断する時。
暗闇の中では歩行者が認識されにくいのだ。
運よくキャンプ道具をすべて持っていた私たちは、懐中電灯を片手に自由に動き回ることができた。やっぱりキャンプ道具は災害に強い。
写真の遠くに光って見えるピンクの光はイオンモール。なんと自家発電機能を備えていて、地域住民の避難所になっていたらしい。
頼りない非常灯だけがポツポツと光る商店街を歩く。もちろん、すべての店にシャッターが下りている。
小樽市内でも復旧状況がまばらで、真っ暗なブロックがあれば、道路を1本挟んで明るいブロックもあったりした。明るいブロックの中には営業中の店が数軒あったけど、そのどれもに長蛇の列。あの最後尾に並ぶ気持ちにはとてもなれないってぐらいいっぱい人がいる。
停電中のこちら側のエリアはコンビニすら開いていなくて、
「困ったねえ…」
なんて話しながら懐中電灯片手にブラブラしていると、蝋燭やランタンの光が並び、賑やかに笑い声が漏れ聞こえる一角を見つけた。
「ご飯探してます~?うちで食べていきなよぉ」
「この先探しても他に食べれる所ないですよ~」
声をかけられると思っていなかったからグッと身構えたけど、急遽用意されたっぽい不揃いな食卓から漂ういい匂いにつられ、そのままストンと腰かけた。
聞けば、普段は後ろの店舗で営業をしている飲食店の方々で、食材のストックがダメになったらもったいないしってことで、屋台として急遽オープンすることになったのだそうだ。
お米は復旧済エリアに自宅がある方が炊いて、炊飯器ごと持ってきてくれたんだとか。
唐揚げもご飯も、そしてまさかの冷たいジュースもいただいた。
ぬるい夜に氷が心地よかった。文明とお店の人に感謝するしかないなって思った。
来店しているのは旅行客や近所の人など、様々な境遇の人が集まっていた。
全然知らない人たちだったけど、こうして一緒になって食卓を囲み、言葉を交わすだけでホームを感じた。
いつもは一人でいることが好きなはずだけど、今はこの賑やかな屋台が心地よい。結局自分も人間なんだ。人間は社会の生き物なんだ。
食事を終えて港に戻ると、暗い中でたくさんの人が床に座り込んでいた。
迷彩服を着た自衛隊の方が数人、発電機と非常灯を設置して見回っていた。
初めて間近に見る隊員の方の背中はとても大きく、見るからに屈強で、迫力に気圧されつつも助けに来てくれる人がいたことで安心感が広がった。大した被害に遭っていない私ですらそうなんだから、実被害を受けた方にとってはどれだけ救いになることだろう。
元々悪い感情はなかったけど、特にこの日以来、私は自衛隊の方を心の底から尊敬している。
やっぱり私の精神力じゃ、おままごとのキャンプが限界だ。思い知らされつつも、床にシートを敷いてふたりでおやつをつまんだ。
「なんやかんや、楽しかったよね。きっと一生忘れない新婚旅行になるよ」
しみじみと話していると、突然あたりが明るくなった。
電気が復旧したのだ。
歓声があがった。
一瞬のうちに人々には笑顔が戻り、子供たちが走り回った。
明るくなったのは、光だけではなかった。
皮肉にも、かねてより行きたいと思っていた終末旅行(っぽいツーリング)によって、電気の重要性に気づかされたわけであった。
電気は心の支えだった
現在の話に戻ろう。
野営をしていて怖いのは、ランタンを消してあたりが真っ暗になった時だ。
視覚が失われると、それ以外の聴覚だとか嗅覚だとかが敏感になる。
風に吹かれた葉っぱが揺れる音すら、自分以外の何者かが歩く音なんじゃないか。近くに動物がいるんじゃないかと気が気でなくなってしまう。
(昨年野営中、実際にイノシシに出会ってしまったので、ますます怖くなってしまった)
それに、なんでかな。中途半端に人の生活が残っている場所も怖い。
廃墟に行くと、荒れていないきれいな廃墟ほど怖いよね。
とうに大人になったはずなのに、怖いものってまだまだいっぱいある。なんで?
終末世界にはもちろん電気がない。
食べ物も減っていく。
ガソリンもすぐに手に入らなくなる。
「それでも終末旅行に行ってみたい?」
やっぱり思ってしまう。終末旅行に行ってみたい。
でも、たぶん、私にはできなかった。
旅行中出会ったすべての方に、心からのありがとう。
たぶん、終末旅行はロマンの枠を出てはいけないんだな。